神社の祭りと祀り
◆そもそも、神社の役割とは?
日本では地震、津波、台風といった災害が多いため、自然は恐怖の対象であり、人間の力では抗いきれない大きな力があると考え、大変恐れられてきました。
今より科学が未発達だった時代であればそういった感情が強かったのも仕方ないかもしれません。
この自然の大きな力=神の怒りだと考え、崇められるように自分たちの住む場所に神を定住させ、【安全】と【安心】を祈願するため各地に神社がつくられてきました。
やがて、仏教が広まると神も仏と同じく人々を救い、願いを聞き入れる存在となってから、神社は恐れる場から信仰や祈願、地域のコミュニティを図る場所へと徐々に変わっていき、現在へと受け継がれています。
こうやって人々は神社に集い、人と人の繋がりが営まれました、神社はまさしく地域のコミュニュケーションの場だったのです。
◆神社の祭り=祀りとは
日本のお祭りは「神様に感謝すること」。
本来、神様というものは村の中ではなく山の奥におられるものであり、
農耕の季節になると村におりてきてこられ、見守ってくださり、収穫を終えると人々は感謝を表し、また山へ戻っていくと考えられてきました。
祭りの語源の「祀る(まつる)」です。
祀りごとにより神々を喜び、その神々も私たちを喜ばせる。互いに喜ばせ、養いあう。
祭りは「ハレ」であり非日常で特別な日です。華やかに賑やかに行うことで「氣」を補給し、お互いの生命エネルギーを循環させていくのです。
「祀りごと」を通して私たちは神様とコミュニケーションを図り、さらに神様と人との結びつきが強まると考えらてきました。
◆ハレとケとケガレ
・「ハレ」とは
非日常の状態、特別な日のこと。
お祭りなどは非日常の状態です。私たちが生きていくには「氣」が必要になります。祭りの華やかさ、晴れやかさ、ケガレをおとした後の清々しさが「ハレ」になります。
・「ケ」とは
日常の状態。普段通りの生活を送る日のこと。
「ケ」は日常生活を送る中で、氣が減ってくると生命エネルギーが足りない状態になり、
「ケガレ(氣枯れ)」になります。
氣が足りている日常を「きよし」
氣が足りなていない状態を「きたなし」と呼びました。
よって、掃除をすることは【禊、祓い】にも通じます。神様は清浄な場所に宿るとされ、神社の境内や鎮守の杜は常に、清々しい場として整え、大事にされているのだと思います。
最後に
初詣、初宮参り、七五三詣、厄除け、豊作祈願など私たちの人生の節目や生活に欠かせない神社。時代と暮らしとともに人々の意識も変化してきました。
それが少し、心の距離が遠くなり、日常から少し離れているように感じます。
もう一度、みなさまの心の中に、生活の中に「神道」を近くにおいていただいて、そして穏やかな心をもって日本人の大切なものを取り戻していけたらと思います。
これからの次世代に、自然との調和を大切にし、見えないものを感じる神道を伝えていくことは、きっと神道の心・日本の心を伝えることになると思います。
身近に神道を感じ、まず、朔日参りや神棚に日常的にお祈りしてみてはいかがでしょうか。
文・写真/供TOMOライター 菊入みさ
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★改めて知りたい「【神道】ってなんだろう?」(前編)はこちらです。
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