【ご挨拶】
はじめまして。岩手県在住のライター、高梨和葉(たかなしかずは)と申します。
学生時代から10年以上、行事ごとに巫女として神社に務めさせていただいている経験から、神社や神道について強い関心を持つようになりました。
あまり関わりのない人からすると、「神社って宗教なの?」「敷居の高い感じがする」「初詣くらいしか行かないからよくわからない」とさまざまな印象を持たれるかもしれませんが、神社や神道の文化を知ることは、日本人らしい心を学ぶことだと思います。
これから、神社や神道の魅力がたくさんの方々に伝わるよう、少しずつ書き綴っていきますので、一読いただけましたら幸いです。
参拝にお作法はあるのか
たとえばあなたは、皇居へ伺うことになったなら、どんなことに気をつけますか?
なるべくフォーマルな服を着て、なるべく背筋を伸ばし、失礼にならないよう一挙手一投足にも気を配り、口の利き方にも注意するのではないでしょうか。
神社という神様のお屋敷に訪れるときにも、いつもより少し、感謝の気持ちが伝わるような言動を取れるといいですよね。それを、ある程度、形づけたものが「お作法」です。
神社って何をする場所?
神道が、ほかの多くの宗教と大きくちがうことは、「教義・教典がない」ということです。
もちろん、神職の方々は数多あるお作法を習得されていますが、たとえばそれを、「一般の参拝客に求めるか」というと、そういうことはありません。
極論をいえば、どう参拝してもよいということになりますが、そもそも神社とはどんな場所かといえば、「神様に感謝の気持ちを告白する場所」だと私は思っています。
ですので、全部が全部、神職のようにとはいかなくても、「お作法を知っておきたい」「お作法を実践しよう」と思うその心がとても大切なのではないでしょうか。
それでは、参拝のお作法について具体的にご説明します。
鳥居をくぐる
神社にはおおむね「鳥居」と呼ばれる門があります。
鳥居は俗界と神域との境界を示すもので、「ここからは聖域ですよ」と教えてくれます。
神社によってはいくつも鳥居のあるところもありますが、これは聖性がより高くなる場所の境目に配置されると考えられています。
鳥居をくぐるときには、手前で立ち止まり、軽く一礼するようにしましょう。いくつも鳥居があるときは、その都度、一礼します。
神域に入るのだ、と意識するようになると、姿勢や衣服を正す行動が自然とできるようになります。
また、神社から退くときには、鳥居をくぐったら振り返り、軽く一礼をします。
手水舎(てみずや)でのお作法
鳥居をくぐった先に、手水舎があります。
手水舎の読み方は、神社本庁は「てみずや」、大國魂神社は「てみずしゃ」と呼び、「ちょうずや」「ちょうずしゃ」と呼ぶところもあります。
最近は手水のお作法を掲げた神社も多いですが、こちらでも紹介します。
① まず、柄杓(ひしゃく)を右手に持ち、左手を清める。
② 左手に柄杓を持ちかえ、右手を清める。
③ もう一度、柄杓を右手に持ち、左手に水を汲み、口を清める。
④ 左手をもう一度、清める。
⑤ 残った水で柄杓の柄を流し、次の人が使いやすいように戻しておく。
はじめにハンカチやタオルなどを脇に挟んだり、カバンの取りやすい位置に出したりしておくとスムーズです。
手水は「禊ぎ(みそぎ)」を略式化したもので、心身を清め、参拝する前に身ぎれいにするという意味があります。
神様は「ケガレ」を嫌いますので、ここで「ケガレ」をさっぱりと落としてから拝殿へと歩み進めましょう。
参道を歩く
参道は、人間だけではなく、神様もお通りになる道です。
神様は正中(せいちゅう)と呼ばれる、参道のちょうど真ん中をお通りになります。
そのため、参道を歩くときにはこの正中を避けて歩くようにしましょう。
拝殿での参拝の仕方
拝殿での参拝は、基本的に「二拝二拍手一拝」です。
① 軽く一礼をする。
② お賽銭をそっと賽銭箱に落とす。
③ 鈴を鳴らす。
④ まず、二拝をする。
⑤ 二回、拍手を打つ。
⑥ 一拝をする。
⑦ もう一度、軽く礼をする。
この「二拝二拍手一拝」の参拝作法は、明治期に一般化しました。
それまでは「八度拝八開手」「二拝四拍手一拝」など、独自の参拝方法を持っている神社が多数ありました。今でも出雲大社などではこのような独自の参拝作法を続けています。
基本的には「二拝二拍手一拝」の作法を覚えておけば問題ありませんが、もし、訪れた神社が独自の参拝作法を持っていれば、それに従うといいでしょう。
また、「拝」という礼についてですが、神社のお作法では、いくつかの礼の種類があります。
その中で、「神様に対してだけ行う礼」が「拝」で、九十度に腰を折る礼の作法です。
お賽銭は必要?
神社というのは村の鎮守の杜としての起源を持つところが多いのですが、昔は金銭ではなく、「お米」をお供えしていました。これを「散米」といいます。
時代が移り変わり、「米」ではなく「金銭」で人々の社会が動くようになり、「散米」は「散銭」へと変わります。
この「散銭」が変化して、「賽銭」となったのではないかと考えられています。
祈りと感謝の気持ちを神様にお伝えする方法として「賽銭」という形が残っているのですから、額の大小にかかわらず、神様に気持ちをお伝えする心を賽銭に乗せるといいのではないでしょうか。
鳥居をくぐってはいけないときもある?
神様が「ケガレを嫌う」ということから、近親者が亡くなったときや、生理中の女性は鳥居をくぐってはいけない、という考え方があります。
「ケガレ」は、「汚れ」「穢れ」といった漢字で表すことが多いですが、ここでは「気枯れ」、つまり気が枯れることを意味します。
気が枯れるというのは、心に大きな穴が空いてしまい、悲しい気持ち、辛い気持ちを持っており、気力が萎えてしまう状態をいいます。大切な人を亡くしたとき、多くの人は「気が枯れた状態」になってしまいます。そのため、鳥居をくぐることを避けるべきだといわれます。
生理中はホルモンバランスが崩れることにより心身の状態が普段と異なってしまうため、気が枯れてしまうということから、鳥居をくぐることを忌避する方もおられます。
どちらも、神職や巫女であれば忌避する期間などがあるかもしれませんが、一般の方は気にしすぎず、どうしても参拝したい、しなければならないというときは、いつも以上に敬意を払いながら参拝をするといいのではないかと思います。
気になる方は、鳥居の外から参拝をするという方法があります。
山の上にある神社を麓から拝んだり、遠方にある神社の遙拝所から神様を拝むというのは、全国に散見される参拝のスタイルです。
正月に神社へ行くと、拝殿の真ん中に人が集まってお祈りをされていますが、神様はどこから祈りを捧げる人も、等しく見ておられます。
少し遠いからといって、神様への感謝の気持ちも、神様のご神威も、弱まるということはありません。
まとめ
今回は神社に参拝する際の基本的なお作法について書かせていただきました。
参拝するにあたって一番大事なのは、「神様への感謝の気持ち」を持っていることだと思います。
お作法を間違ってしまったら失礼にあたるかもと萎縮せず、すがすがしい心で参拝を楽しんでいただければ幸いです。
文・写真/供TOMOチーム ライター 高梨和葉
【プロフィール】岩手県在住。学生の頃より10年以上、祈祷所や授与所にて巫女として助勤を経験。神社を身近に感じるとともに、神社や神道について強い関心を持つ。また、日本独自の文化である神道を主軸に地方に散見している民間信仰についても研究中。
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