世界文化遺産「古都奈良の文化財」の構成要素である東大寺と薬師寺には、境内に寺院を守護する神社が鎮座しています。
これらの「寺院を守護・鎮守する神社」とはどういうものなのか。
手向山(たむけやま)八幡宮と休ヶ丘(やすみがおか)八幡宮が造営された由来から、その寺院と神社の関係性について考えてみましょう。
東大寺を守護する「手向山八幡宮」
奈良を代表する寺院といえば、大仏(廬舎那仏(るしゃなぶつ))で知られる東大寺です。
この東大寺の大仏殿があるエリアの東側に、お水取りで有名な二月堂や、法華堂(三月堂)が建ち並ぶエリアがあります。
ここに東大寺を守護する「手向山八幡宮」が鎮座しています。
この手向山八幡宮は、749年に東大寺の守護神として大分県の宇佐八幡宮から勧請された神社です。当初は平城宮の梨原宮に建立されていましたが、大仏造営に際して東大寺の守護神社として遷されたと伝えられています。
その後、平重衡(たいらのしげひら)による南都焼き討ちで消失したものの再建され、さらに1250年に現在の場所に、北条時頼(ほうじょうときより)によって遷されたものです。
明治期の神仏分離により現在では、手向山八幡宮は東大寺から独立した神社として運営されています。ご祭神は、八幡大神とされる応神天皇(おうじんてんのう)の他、姫大神(ひめおおかみ)・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)・神功皇后(じんぐうこうごう)・仁徳天皇(にんとくてんのう)の5柱です。
薬師寺を守護する「休ヶ丘八幡宮」
奈良市の西ノ京(にしのきょう)と呼ばれる場所に、世界文化遺産「古都奈良の文化財」の構成要素である薬師寺があります。
この薬師寺の境内のすぐ南に、薬師寺を守護する「休ケ丘八幡宮」があります。
この神社は890年頃に、薬師寺別当の栄紹(えいしょう)法師によって、薬師寺の守り神として大分県の宇佐八幡宮から勧請されたものです。
「休ケ丘」とは少し変わった名前ですが、これは大安寺の行教(ぎょうきょう)和尚によって、大安寺の元石清水(もといわしみず)八幡宮に八幡大神を勧請された際、大安寺に向かう八幡大神が休息された地であることに由来すると伝えられています。
ご祭神は、八幡大神・姫大神・神功皇后の3柱です。また現在の社殿は豊臣秀頼(とよとみひでより)により寄進されたもので、重要文化財に指定されています。
神仏分離により現在は宗教法人としては独立していますが、薬師寺の行事の前には僧侶が参拝して八幡大神の守護を願い、また休ケ丘八幡宮の祭礼では薬師寺の僧侶が神前読経を行う等、その深い関係は続いています。
寺院を鎮守する神社が八幡宮である理由
八幡宮は全国に約11万あるとされる神社の中で最も多く、4万6千社余りあります。八幡さまとして古くから親しまれ、信仰を集めて来ました。
この八幡宮の総本社が、宇佐八幡宮であり、「手向山八幡宮」も「休ケ丘八幡宮」も宇佐八幡宮から分祀されたのです。
八幡宮の総本社である宇佐八幡宮は、元々は土着的な神を宇佐氏が崇敬していたものです。しかし、この祭神がご神託を通じて第15代天皇である応神天皇の化身とされた事で、天皇のご神霊が結びついた特別な存在となり、八幡信仰が全国に広まりました。
天皇家との結びつきが強い事に合わせて、八幡信仰には大陸から伝来した仏教文化と、日本古来の神道を融合させた側面があったと考えられています。
従って、時の天皇や朝廷が信仰する寺院の鎮守や、大仏殿の建立の様に大事を成す際には、八幡大神に守護を願いました。これが、奈良の大寺を守護する神社が八幡宮である理由と言えるのです。
文・写真/供TOMOチーム ライター とっしー爺さん(大阪府在住)
手向山八幡宮の基本情報
名称 | 手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう) |
所在地 | 〒630-8211 奈良県奈良市雑司町434 |
アクセス | JR奈良駅、近鉄奈良駅から 市内循環バス「大仏殿春日大社前」下車、徒歩15分。または近鉄奈良駅から徒歩30分。 |
問い合わせ | 0742-23-4404 (手向山八幡宮) FAX:0742-23-4410 |
公式ページ | http://tamukeyama.or.jp/ |
休ヶ丘八幡宮の基本情報
名称 | 休ヶ丘八幡宮(やすみがおかはちまんぐう) |
所在地 | 〒630-8563 奈良県奈良市西ノ京町457 |
公式ページ | https://yakushiji.or.jp/guide/garan_yasugaoka.html |
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