和歌山県の熊野速玉大社と人々が熊野三山を巡った理由を探る  | 神社めぐり

和歌山県の熊野速玉大社と人々が熊野三山を巡った理由を探る | 神社めぐり

こんにちは、供TOMOチームでライターの山崎和子です!


今回は、「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界文化遺産に登録されており、全国にある熊野神社の総本宮「熊野速玉大社」をご紹介します。

 

熊野速玉大社は熊野三山のひとつ

熊野速玉大社 熊野三山 供TOMO 神道 神社 ブログ

 

これまでにご紹介した「熊野本宮大社」「熊野那智大社」と並んで熊野三山と呼ばれる「熊野速玉大社」。ここでは歴史をひもときながら「なぜ人々が熊野三山を巡ったのか」についてみていきましょう。

熊野の成り立ちを知ることで、熊野速玉大社へ新たな気持ちで参拝できることと思います!

 

熊野三山と呼ばれるまで

 

熊野三山と呼ばれ始めるのは10世紀後半のことです。それまで古代の人々は、自然の中に神様を見い出して、それぞれの地域で個別に崇めていました。


熊野本宮大社は川、熊野那智大社は滝、熊野速玉大社は岩をご神体とする、自然崇拝の形だったのです。


そこに神話が加わって、本宮はスサノオノミコト、那智はイザナミノミコト、速玉はイザナギノミコト、その他にも熊野の山々に鎮まる神々が一体化されていきます。さらに山を聖域として厳しい修行を行う、修験道の聖地にもなっていきました。

 

神仏習合のかたちを取り入れる

 

熊野と神仏習合は切っても切れない関係です。6世紀になると日本に仏教が伝来しました。

そこで「元々おられる神様は実は仏様の仮の姿で、もとは同じである」という神仏習合の考え方が根付いていきます。

 

熊野那智大社 供TOMO 神道 神社 ブログ

(写真は熊野那智大社)

 

10世紀中ごろには熊野三山に祀られるそれぞれの神は、本宮が阿弥陀如来(あみだにょらい)、那智が千手観音(せんじゅかんのん)、速玉が薬師如来(やくしにょらい)であるとし「三所権現(さんしょごんげん)」と呼ばれるようになっていきます。

 

ちなみに熊野三山には、三所権現を含んで共通する12柱の神様が祀られており、その神々のことを「熊野十二所権現(くまのじゅうにしょごんげん)」とも呼んでいます。

 

 

ご利益を求めて「蟻の熊野詣(ありのくまのもうで)」が始まる

 

熊野全体を浄土の地に見立てて次々に参拝者が訪れたので、その行列を「蟻の熊野詣」と例えられました。

熊野詣は平安時代の中ごろから上皇が熊野御幸(くまのごこう)を始めたことをきっかけに、室町にかけて盛んになっていきます。江戸時代には紀州藩主の徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が熊野三山に力をいれたため、再び最盛期を迎えました。

 

供TOMO 神道 神社 ブログ 熊野速玉大社

 

熊野は、身分や男女など何にも分け隔てられることなく、誰もが訪れることのできる聖地でした。さらに本宮は来世、那智は現世、速玉は過去世を救うご利益があり、熊野三山を巡ることで”一度死んで、再びよみがえることのできる”神仏一体の地”と信じられていたのです。



「紀伊山地の霊場と参詣道」は世界自然遺産ではなく、世界文化遺産に登録されています。渡来した仏教を排除することなく日本独自の神道にうまく取り入れ、信仰や修行の道を今も残している文化は、平和的に物事をとらえられる日本人らしさではないかと思います。

 

 

元宮「神倉神社(かみくらじんじゃ)」のゴトビキ岩

熊野速玉大社 供TOMO 神道 神社 ブログ

 

熊野速玉大社の摂社となる神倉神社には、ゴトビキ岩と呼ばれる巨岩のご神体があります。

 

天ノ磐盾(あまのいわたて)という険しい崖の上にそびえるゴトビキ岩は、熊野の神々がまず最初に降臨した聖地と伝えられています。日本書紀や古事記によると、天ノ磐盾はのちの神武天皇が東征の際に登った場所と記されています。

 

のちに現在の場所へ熊野速玉大社の社殿が建てられ、神倉神社の「元宮」に対し「新宮」と呼ぶようになったのが地名となりました。

 

自然石を組み上げた階段は全部で538段あり、一瞬のぼるのをためらうほどの急こう配ですが、頂上のゴトビキ岩からは新宮の街並みや太平洋までを見渡せる絶景が待っていますよ。

 

毎年2月6日には「御燈祭り(おとうまつり)」が執り行われ、燃え盛るたいまつを手にした白装束の男性が2000人ほど石段を駆け下りる姿は勇壮です。あの急な石の階段を、と想像すると本当に感服してしまいます。

 

熊野速玉大社から、歩いて約10分です。

 

熊野速玉大社のナギと沖縄の関係

 

境内には、ご神木で国の天然記念物に指定されている梛(なぎ)の木があります。

熊野速玉大社 供TOMO 神道 神社 ブログ

平重盛のお手植えと伝わっており、幹回り6m、高さ20mと見事な大樹です。その昔、なぎは「凪」に通じることから道中の安全を祈って、葉をお守りにする習わしがあったんだそうです。

 

沖縄が本土復帰した折、この梛の木500本が、沖縄の学校に植樹されました。実は沖縄には、波上宮、普天間宮、識名宮など熊野速玉大社の御分社がたくさんあり、琉球王朝の時代から熊野と縁が深いのです。梛の木は「平和の象徴」として大切にされているんですね。

 

熊野速玉大社の梛の木を見ていると、はるか昔からの、人々の平和への祈りを感じられるように思います。

 

熊野速玉大社の基本情報

 

名称 熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)
所在地

〒647-0081 和歌山県新宮市新宮1番地

主祭神

熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ、イザナギノミコト)

熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ、イザナミノミコト)

御祭神

熊野十二所権現

公式ページ

https://kumanohayatama.jp/

 

文・写真/供TOMOチーム 山崎和子 

 

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