こんにちは!供TOMOチーム・ライターの山崎和子です。
以前、半年ほど宮古島に滞在していたことがあります。宮古島は沖縄本島とも異なる言語や文化があり、美しい宮古ブルーの海や優しい人たちに心が癒された思い出の場所です。
宮古島には島に唯一で、日本最南端の宮古神社があります。しかも御祭神に熊野三所権現(くまのさんしょごんげん)が祀られており、和歌山出身の私としてはとても親近感を覚えました。
今回は観光者もあたたかく迎え入れてくれる、スカッと気持ちのいい宮古神社をご紹介します。
宮古島のパワースポット宮古神社のご利益
宮古神社は開運のご利益があるとして、地元の人だけでなく多くの観光客が訪れます。とくに金運上昇や商売繁盛など金運がアップするといわれていますよ。
神社の場所は高台にあるため、エメラルドグリーンの海や無料で渡れる日本最長の伊良部大橋(いらぶおおはし)を臨むことができ、宮古島の神社であることを実感します。
他にも鳥居から本殿にのびる参道脇には、玉砂利ではなく芝生が敷き詰められ、本殿や社務所、手水舎には琉球赤瓦が使われるなど、随所に沖縄らしさが垣間見えます。
宮古神社のご由緒と御祭神
宮古神社の御祭神は6柱で、熊野三神と豊見親(とぅゆみや)三神が祀られています。どうして和歌山から遠く離れた宮古島の地に、熊野三神が祀られているのか、ご由緒をたどってみましょう。
宮古神社と熊野三神
琉球王朝の時代のことです。宮古島の志理萬(しりま)の里に、平良(たいら)という名の有力者が住んでいました。
あるとき平良が首里へ貢物を納めて宮古島に帰るおり、遭難して高麗(朝鮮)へ漂着してしまいます。言葉も通じず異国の盗賊とみなされ、まさに斬られるという寸前、平良は琉球の神々に祈りを捧げて地面に「琉球」と書きました。するとたちまち誤解がとけ、ようやく縄をほどいてもらえたのです。
その後8年間を高麗や北京で過ごし、ようやく宮古島へと帰国。平良は「無事に戻ってこられたのも、琉球の神々のおかげ」と感謝し、1590年に琉球国第一の神社である那覇の波上宮(なみのうえぐう)から熊野三神を勧請しました。
宮古神社は「宮古熊野三所大権現」と称され、ここでも神仏習合の形がみられます。これが宮古権現堂の始まりです。
ちなみに那覇の「波の上ビーチ」すぐ横に磐座がある波上宮(なみのうえぐう)は、琉球初の密教道場として護国寺に付帯する形で創建されました。1522年、熊野から小舟で海へ出る補陀落渡海(ふだらくとかい)の果てに漂着した僧侶の日秀上人(にっしゅうしょうにん)が、熊野三所大権現の阿弥陀如来、薬師如来、千手観音を祀ったといわれています。
宮古神社と豊見親三神
豊見親(とぅゆみや)三神は宮古島の発展の要となった実在の人物で、「豊見親」とは宮古島を統治した首長や英雄につけられる尊称です。
1925(大正14)年に宮古神社を創建したおり、宮古島の英雄とされる與那覇勢頭豊見親(よなはせど とぅゆみゃ)と仲宗根豊見親(なかそね とぅゆみゃ)の二柱が祀られます。しかし宮古神社には、なかなか国の認可がおりませんでした。その間にシロアリや台風の被害を受けたため、宮古権現堂とともに修繕しようと話が上がります。
1940(昭和15)年には宮古権現堂と宮古神社を合わせた新・宮古神社を建立することに決まりましたが、戦禍にあってやむなく御祭神を漲水御嶽(はりみずうたき)に一時的に遷祀します。
1956(昭和31)年には宮古島を統一した目黒盛豊見親(めぐろむい とぅゆみゃ)が御祭神に加わり、本土復帰の1972(昭和47)年に仮社殿が建立。社殿が現在の場所にうつるのは実に2010(平成22)年のことです。
長い年月がかかって現在の創始の場所に戻ってきたことを思うと、感慨深いですね。
漲水御嶽(はりみずうたき)は宮古島で唯一訪れることのできる御嶽(うたき)
宮古島には「神社」と名前のつくところがたくさんありますが、宮古神社以外はすべて御嶽(うたき)です。
御嶽とは神様が降りてこられる聖域で、男子禁制や地元の人でさえ立ち入り禁止の場所が数多くあり、決して興味本位で立ち寄ってはいけません。
そんななか唯一誰でも参拝できるのが、宮古神社のすぐ近くにある漲水御嶽(はりみずうたき)です。漲水御嶽は御嶽の最高位であり、宮古島創造の神話が残る聖地です。観光者や出張に訪れた人も、ごあいさつに伺うと良いそうですよ。
参拝する際は神社のような二礼二拍手はせず、静かに祈ります。自分の名前と干支、どこから来た者か(住所)を告げて、宮古島に来れたことに感謝を捧げましょう。御嶽はお願い事をする場所ではありません。
私が訪れたときは、先に地元の方がお参りされていました。御嶽は地元の方の聖地なので邪魔をするような行為があってはならないと聞いていたので、神妙に遠くで待っていました。
けれどもそのあと「どうぞこちらに来てくださいね!」と笑顔で招き入れてもらい、ホッとしたことを覚えています。その方も漲水御嶽も、とても温かい歓迎の空気が流れていました。宮古神社に参拝されるなら、ぜひ漲水御嶽にもごあいさつに行くといいと思います。
宮古島の神仏と祖霊崇拝
琉球の信仰は山や岩、海や木などに神が宿る自然信仰と、祖先の霊を敬う祖霊信仰がおおもとにあります。とくに宮古島は信仰にあつく、沖縄に住んでいた私が初めて聞く祭事もたくさんありました。
そのひとつに旧暦の1月16日をあの世のお正月として盛大に祝う「十六日祭(ジュウルクニチ)」があります。この日は親戚一同が集まって、ご先祖様のお墓の前でごちそうを食べて酒盛りをします。
このときに「ウチカビ」といわれるあの世で使えるお金を焼くのですが、これは道教式だそう。ちなみに仏教式に線香をたき、神道式の儀式や祖霊崇拝があります。また宮古神社はかつてキリスト教布教の活動場所にもなったんだとか。
ご先祖様や神様、仏様を広いくくりで神聖なものと考える私にとって、宮古島がとても居心地のいい場所だったのは、こういう背景があったんじゃないだろうかと思います。
宮古島滞在中に、砂川さんのご親戚に混じって十六日祭に参加するという貴重な機会をいただきました。知らない土地で心細かった私を、分け隔てなく迎え入れてくださった砂川さんや比屋根さんご一家、宮古島のみなさんの精神は、おおらかな宮古神社や漲水御嶽に似ているなあと、嬉しくなるのです。
宮古神社の基本情報
名称 | 宮古神社(みやこじんじゃ) |
所在地 |
〒906-0012 沖縄県宮古島市平良字西里5-1 |
御祭神 |
熊野三神 ・伊弉冉大神(いざなみのおおかみ) ・速玉男之神(はやたまおのかみ) ・事解男之神(ことさかおのかみ) 豊見親三神 ・與那覇恵源命(よなはけいげんのみこと) ・目黒盛定政命(めぐろもりていせいのみこと) ・仲宗根玄雅命(なかそねげんがのみこと) |
公式ページ |
文・写真/供TOMOチーム・ライター 山崎和子
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★沖縄の、琉球王朝の時代からの熊野との結びつきについては、こちらの記事もご覧ください。
★神社にお詣りする際、神様にどんなものをお供えされていますか?通常は「お賽銭」を入れていらっしゃると思いますが、神様へのお供えは、もともとお米やお酒、農産物などの「神饌」がもととなっています。お賽銭とともに、神社にお米やお酒を奉納されてみてはいかがでしょうか。神様もお喜びになり、お詣りした神社との絆も深まるかもしれません。
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